降臨賞投稿作『お前に俺の娘はやらん』

佳代子は学生時代トランポリン競技の選手をやっていて、国体なんかにも出て地元じゃそこそこ有名な女の子だった。
引退した今でも唐突に跳びたくなることがあるらしく、そんな時彼女は僕みたいな暇人に声を掛ける。


その日、電話を受けて休日の公園にやってきたのは僕一人だけだった。おかげで、野外にトランポリン台を設置するのに2時間掛かった。へとへとになって座り込んだ僕を尻目に、今佳代子は、僕の組み立てた台の上を飛び跳ねている。


佳代子はいつだって、誰よりも高く跳ぶ。僕は佳代子が、宙空でくるくると木の葉のように舞っている姿を見上げているのが、何よりも好きだった。全身を空に投げ出すようにして上下に跳ねる佳代子は、どこかやけっぱちで、しかし美しかった。
しかしそれでも、今日の佳代子は跳びすぎだ。まさか雲よりも高く跳んでいくとは。
そう言えば電話口で、彼氏と喧嘩したとか言っていたな。青い空に吸い込まれるようにして消えていく彼女を目で追いながら、僕はそんなことを考えていた。


僕を我に返らせたのは、懐から鳴り響く携帯の着信音だった。発信者は、たった今豆粒になって姿を見失った佳代子。慌てて電話に出ると、「跳びすぎちゃった」と言う、少し照れたような声が、風を切る音とともに聞こえてきた。
「…よく、電波届くね」
混乱した僕の言葉は明らかに見当違いのものだったと思うが、
「衛星が近いからかな?」
佳代子の返事もなかなかにとぼけたものだった。


トランポリン経験者の弁によると、これだけの高さから落下すると、トランポリンのケーブルが延びきって真下の地面に衝突する恐れがあるらしい。僕は彼女の指示に従い、台の下の土をスコップで取り除き始めた。深く穴を掘れば、地面との衝突は避けられる。らしい。

作業中、目下上昇中の佳代子からの電話は5分おきに掛かってきた。
やれ「雲に突っ込んだ」だの、「富士山が見えた」だの。一人で退屈なのかも知れないが、僕も忙しいのでろくな返答が出来ない。


「風が冷たいけど」

「ん?」

「すごく景色いいよ、ここ」

「だろうね」

「多分、今、君が想像しているのより、100万倍も綺麗だよ」

「そうかな」

多分、それはないと思う。佳代子の視界に、宙を舞う佳代子の姿は映らないのだから。


「あ」

「何?」

「落ち始めてる」


佳代子が上昇に費やした時間は25分。落下に掛かる時間も25分だ。タイムリミットまでに、佳代子が空から降ってくる前に、出来るだけ深く穴を掘らねば。僕はスコップを握る手に力をこめた。


25分後。
指の感覚が無くなっても構わず地面を掘っていた僕の耳に、さっきは電話口から聞こえた音が、直接聞こえてきた。佳代子が風を切る音。佳代子が降ってくる。
不意に力が抜けて、僕は自分の掘った穴の土壁にもたれかかる。


がしゃあん、と言う音が頭上からしたのは、その直後だ。天井が、いや、トランポリンのベッドがケーブルを軋ませ僕の眼前まで落ちてくる。スプリングを限界の限界まで伸ばしながら、ニードロップの体勢で落ちてきた佳代子の体を受け止めたトランポリンは、しかし僕の掘った穴の底にぶつかることは無かった。
ギチギチと音を立てる金属製の繊維一枚を隔てて、僕は佳代子を見た。佳代子もニードロップ着地の姿勢のまま僕を見た。広がりきったケーブルの隙間から、見たことがないほど素敵な彼女の笑顔が見えた。


「ねえ、」
次の瞬間、再び佳代子が空中に発射された。ロケットのような勢いで。


そりゃそうだ。


自分の掘った穴から這い出て空を見上げたが、やっぱり彼女の姿は見つからなかった。
今度は成層圏くらい突破したかもしれない。


(了)


降臨賞応募作品。